豪雨被災

 8月14日の朝、世間は盆休みであったが、仕事の私はいつものように6時前に目を醒ました。夜中から引っ切り無しに続いた雷雨の中、あまり熟睡できていない上に、明け方には自宅マンションの周辺から男性の大きな声が響いていたので、何となく異様な雰囲気は感じていた。ベランダ側のカーテンを明けるとマンション敷地外の道路を泥水が川のように走っていた。近視の私はその時メガネを掛けていなかったので何事かはすぐに判らず、今度は玄関を開け6階の手すり越しに敷地内の駐車場や敷地外の民家の隙間を走る道を見降ろし確認すると、すべてが泥川状態の中で人々が悲壮に動いていた。すぐに妻を起こし近くの一戸建てに一人で住む義母宅に電話させたが通じず、1階に降りてみるとエントランスまで水が浸かっていて管理人達が水をかき出していた。部屋に戻ると、やはり義母宅には電話が通じておらず、長靴がない私はぞうり履きのまま義母宅へ向かった。雷は鳴っていたが幸い雨は小降りになっており、水も少し引いて足首ほどになっていた。普段は歩いて5分ほどの距離の義母宅であったが、 足首まで水がある上に土砂や流木が邪魔して倍ほどの時間が掛かり、家並みのいちばん奥にある義母宅の前はさらに水かさがあった。幸い義母は様子を見に二階から降りてきていた所だったので、近所が水かきしている中、もと来た道を恐る恐る自宅まで連れ帰った。

 

 上記の写真は豪雨から3日後の自宅周辺の家々から出された瓦礫の山の一部である。災害状況は全国規模の報道で流されたが、義母宅は床上浸水の上に基礎部分の一部が水の勢いでえぐり流され現状では住めない。被災当日から半月が経った。家族、親戚が代わる代わる片づけをしているが、やっと仮の住まいである公営住宅が決まった。

  

 40年まえに建てて5人家族で過ごし、時の経過と共に一人住まいとなり、苦労を乗り越えた義母としては、終の棲家としてリフォームをしたばかりの家であった・・・ 義母にとって、そして娘である妻、その妹、そして私たち家族はここから何を学び、どこへ行こうとしているのか? まだ途中である。  いま少しだけ東北で被災された方々の気持ちに触れたような気もする・・・

 

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