頂くということ

 今日は早出の出勤であった。早朝、いつもの出勤コースを自転車で走ってコンビニの前を通りかかると、七十代後半かと思われるおばあさんが店を出たところで缶コーヒーを飲んでいた。ここまでは現代では何も珍しくない光景なのだが・・・

 

そのおばあさんは片手で缶を持ち、もう一方の手は缶の底に添えて飲んでいたのである。それは、まるでお茶を頂くように・・・

 

自転車で通り過ぎる、その僅かな瞬間に私の脳裏に色々な思いが巡った。戦後、我々五十代以降で飽食の時代に生まれ育ったものが、缶コーヒーをあんなに大事そうに頂くという行為をしている人が一人でもいるだろうか、機械による大量生産で作られた物なのに、その所作ひとつで缶コーヒーでさえ心が込められた飲み物になり、とても有り難いものに見えるものだ・・・

 

コーヒー専門店の修行や自営時代、お客さんから下げられてきたコーヒーカップの底を覗き、残されているか飲み干されているかで一喜一憂したものである。それが、また次の技術向上へのモチベーションに繋がったものだ。

 

話が逸れたが、欧米的にコーヒーを飲む現代女性も格好の良いものである。そして日本女性が珈琲の器に両手を丁寧に添えて『頂く』姿も美しと思う。そんなことをお茶の本場である宇治の地で、コーヒーの美味しい秋の始まりに思ったのだった。

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