闘志

 2014年のサッカーWカップはドイツがアルゼンチンを下して優勝した。決勝トーナメントは、ほぼヨーロッパと南米との戦いで、それは御国柄というか文化の違いというか、緻密な組織力と陽気な個人技との戦いで、ベスト8に残ったチームはどこが優勝してもおかしくなかった。日本そしてアジア勢は、まだまだ力が及ばない、『優勝』という言葉を発するには時期尚早としか言いようがない。そこには、勝つための身体を張ってのプレイがすさまじい。まさに『闘志』をむき出しにしての全力で命懸けのプレイである。それは技術面以上に日本チームが劣っているのを感じた。

 

『戦い、争い』それを繋げると戦争になる、特に身体を張ったスポーツはそれを連想しかねない。しかし、スポーツにはフェアーなプレイを促すルールと審判が存在するのだ。そこが戦争の後の虚しさと、スポーツの後の感動の差かも知れない。

 

何かにつけ思い出すのだが、高校3年生の秋に校内陸上競技大会が、学校と隣接する運動公園の競技場であった。クラブ活動でのバレーボールでは補欠の身で引退したが、足のバネにはそこそこ自信があり、全学年クラス対抗の(当時は3学年×12クラスもあった(驚!))三段跳び、400mリレー、1600mリレーに出場してすべて決勝に進んだ。決勝の三段跳びは踏切がうまく合わせられずに2位、400mリレーは4位、そして予選で断トツ1位になった最終の花形競技1600mリレー決勝の時間が迫ってきた。三段跳び、400mリレー、1600mリレーの決勝が連続で組まれ、400mリレーを終えた時点で、私の身体は悲鳴を上げていた。息が上がり足はパンパンで攣り、マッサージも利かない。アンカーではあったが、已む無く選手交代を申し出てチームは4位に沈んだ・・・

 

 そして、その後の人生を今日まで乗り越えてはきたが、「あの時、死に物狂いで出場していたら・・・」と、今回のWカップや陸上競技など、連想させる場面に出会うと、あの光景が脳裏をよぎる。

 

それが、スポーツの良さなのかも知れない・・・ 後悔もあるが、そのことが生きるバネにもなるのだ・・・ 

 

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