タイムスリップ

 一昨日、このまえ紹介した『パーソナル・ソング』を大阪は十三(じゅうそう)にある第七芸術劇場で鑑賞してきた。

 

梅田から淀川を挟んで北西あたりにある十三駅は、阪急電車始発の梅田駅から二駅目で京都線、宝塚線、神戸線が分岐する。そして下車すると下町の雰囲気を醸し出した、ゴチャゴチャした街のイメージがある。

 

映画館のホームページから調べた道案内どおりに到着すると、館内はいっぺんに昭和にタイムスリップである。スタッフの三人はまるでフォークブーム時代の若者のような出で立ち、劇場は木作りの壁やえんじ色のカーテンの奥に銀幕があって、もうそれは昭和である。(ただ、100席ほどの座席だけは今風にゆったりとしていたし、あの当時にどこの映画館でも感じたタバコ臭ささはなかった。)

 

上映までのしばらくの間、京都に出て来た頃を思い出していた。住まいは学生寮で左京区の一乗寺にあった。そこは学生の街で商店街には京一会館という二番館(三番館?)があった。(1年で寮を出てからは、京一会館から目と鼻の先のアパートに10年ほど住み、たしか映画館の廃業も見とどけた。間もなくアパートも潰されることになり引っ越したが、家庭をもつことになる平成はもうすぐそこに迫っていた・・・)名画もロマンポルノも上映するごちゃ混ぜ館だったが、いちばん印象に残っているのは健さん主演の『幸せの黄色いハンカチ』である。ま~そんなことを思い出しながら上映を待っていたが、周りを見渡しても客は私を含めて四人!(驚)メンズデー(1100円)とはいえ平日の夕方だし、巨額予算のメジャー作品でないとこんなもんかと妙に納得をした。

 

さて映画だが、いきなり引き込まれていった。認知症やアルツハイマーで無表情な老人や中年のひとたちが、好きな音楽に触れた瞬間に表情や動きが盛んになる。ドキュメンタリーなのに、あの表現力は役者じゃないのか?と思うほど豊かになるのは、さすがあらゆる音楽が融合した多民族国家のアメリカである。(シャイな日本人では、とてもあんな風に感情が表にでないだろうな~)

 

映像を観ながら何度も目頭が熱くなった。それは10年前に亡くなった母と6年前に亡くなった父に重なったから・・・

 

亡くなる前に私なりの音楽療法をした(そのことは其々エッセイ集”心の時代に思うこと”に書き残した。)つもりだが、やはりどちらも看取れなかったことには後悔が残る。そして、私に人前で音楽をする楽しさを教えてくれた闘病中の友人のことも、度々脳裏をよぎった。さらに、私はどんな死を迎えたいのか?自宅で?施設で?病院で?そして、医薬がビジネスとなった現代医療において「音楽療法を主の治療にして下さい。薬はその補助に使って下さい。」と胸を張って言えるだろうか・・・

 

映画が終わると、十三駅周辺をぶらつき一杯飲み屋を探した。ガード下や路地裏に様々な飲み屋が軒を連ねている。結局は映画館の近くに戻り、斜め向かいの立ち飲み居酒屋に入った。心地よくなってきた頃に、となりのおっちゃんが話しかけて来た。酒飲みは、話を聴いてくれそうな人間を見付ける嗅覚があるのか(笑)ひとしきり(けっこう面白い人生の)話を聴いてあげ、おあいそすると、そこそこ飲食したのに何と1500円ほど!!!安い!さすが食の都の大阪!さすが十三!さすが立ち飲み!

 

昭和の薫りの残る人情味豊かな街を堪能し、また雑踏の中を帰路についた・・・

 

 

 

 

 

 

 

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