いのちの話

 

 

ここ数年、「命が粗末に扱われている」という言葉をよく耳にする・・・

 

そこで、私に年齢の近い従姉妹たちの間で人気者だった、父のことをちょっと書いてみよう。

 

父は戦前には沖縄県の職員として、戦後は畜産県の宮崎で職員として大型家畜(牛、馬、豚)を診る獣医をしていた。私が戦前の様子は知る由もないし、誕生から幼ない頃までしか住んでなかった宮崎で仕事をする父の姿は、おぼろげにしか記憶がない。

 

諸事情が重なり、小3の私は両親の故郷である沖縄に引っ越すことになったのだが、日本復帰前の沖縄には多くのアメリカ軍人が駐留し、占領した広い敷地に住むその家族達が犬などのペットを多く飼っていた。ということで父はそれを当て込み?しばらく東京で小動物の治療を学び直した。宮崎市に隣接する田舎町では、まだ信号もないような生活であったが、沖縄では多くの大型アメ車や日本車が右側通行で走るなか、那覇市に隣接する当時の浦添村で父は開業を始めた。

 

しかし、五十歳まで給料取りとして働いていた人の良い父には、自営というものは厳しかったようだ。地元の人にお金が無いと言われれば治療費を貰えなかったり、アメリカ人には入院させた犬を置き去りにして本国に帰られたりもしたのだ(笑)

 

ところで、置き去りにされた犬はどうなったのか? けっきょく生涯飼うことになった。しかも2頭も(笑)

一頭はスピックという名のオスで交通事故で下半身複雑骨折だった。もう一頭はプリンセスという名のメスで皮膚病だった。

 

その後、幹線道路沿いにある浦添での借家は家賃が高く、那覇市で叔父の持ち物の家で開業したのだが、数年後には、そんな二頭の間に仔犬達が生まれ、知りあいに貰われていった。

 

ということは、もしかすると?その「命」たちは今も誰かの元で受け継がれているのかも知れないね・・・

 

ペットブームの現在の日本では、飼い切れなくなったりした犬や猫たちが、年間に何十万頭も殺処分されている。

 

そして、人々の間では、理解できない戦争や事件や自殺などで「命」が簡単に失われていく・・・

 

あ~ あかんあかん! 何だか書いてることが重くなってきたな・・・

 

 

末っ子の私は小学生の時代だけだが、家族の中でいちばん父の仕事ぶりを見たり手伝ったかもしれない・・・

 

今、あの頃の父の年齢を超え、人生は 『一期一会』 損得ではないよと学んだ気がしている。

 

 

  ※写真はメスのプリンセス=何と那覇市では屋根に作った小屋で飼っていた。(オスのスピックは一階の小屋で)

  常に屋根を一周してパトロールしてくれて防犯には最適?(笑)

  私が中学生の頃にプリンセスが部屋を覗いた瞬間である。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    みさこ (木曜日, 26 3月 2015 12:12)

    犬を二匹飼っていたことは知っていたけど、二頭の間に仔犬がいたなんて全然知らなかった。
    私にはあの頃の記憶が抜け落ちています。のんびりとした宮崎の田舎から移り住んだ沖縄は何もかも珍しくて、家の事より外の世界に関心があったからだろうと思います。貴方は子供だったので両親といる時間が長かった頃。宮崎での父の思い出が少なかった分、あの頃に両親との濃厚な時間が持てたのは貴方の人生の中で幸せな時間だったのだなと思います。(貧乏だったけれど・・・笑い)
    それから時々コメントをくださる律子さん、私は二番目の姉です。これからもよろしく。

  • #2

    ともさん (土曜日, 28 3月 2015 07:29)

    お~ なつかしい私生活が暴露されていく~(笑)

    親と姉には一生、頭が上がらん!

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