縁とは

 今日の沖縄は慰霊の日である。慰霊の日については3年前に書いたので、特にここでは取り上げない。私が望んだつもりではないのに?ここ数カ月の間に、『引きうける生き方』という本や『沖縄県民大会』のライブ映像や『沖縄戦 全記録』というテレビ放送を次々と観る機会が訪れ、戦争の悲惨さから目を背けることができなかったし、その犠牲者の上に我々が生かされていることを痛感した。これらを知る切っ掛けは、沖縄に住む姉からの影響が多大だが、そこには『縁』がある。

 

というのも、実は五月末に合わせて公募の童話を書いていた。それも、戦前、戦中、戦後の沖縄で苦労しながら逞しく生きた母方の祖母をテーマに書いていたのだ。(ここでは、まだ紹介できないが)このように何かを突き詰めているとき、その答えやヒントを掴む現象が起こる。これは人間知を超えた何者かが与えてくれているのであろうか?

 

さらに、書くことに行き詰まっていると、友人のホームページから童話作家の講演を知り、その壮絶な人生を乗り越えて生き続けているからこそ、子ども目線の愛ある創作ができることを痛感させられた。この『縁』も私にとって必要だから起きた現象なのだろう。(しかも、主催団体の発行しているニュース紙に講演の感想を書く羽目になったのだ(驚)拙い文章力を鍛えられた出来ごとだが、これも『縁』なんだな(笑))やはり、私の人生観は甘い、甘い!!

 

それから、つい最近読み終えたのだが、中勘助が書いた『銀の匙』という純文学を読む『縁』があった。自分ではこの手の小説には手を出すことはなかったのだが、一年ほど前から利用しているコーヒー豆販売店の店主(わたしよりずっと若い(笑))が貸してくれたのである。読み始めは躊躇気味だったが、すぐに引きつけられた。大人目線の幼年、少年時代の回顧録ではないのだ。それはもうそのときの自分になり切った表現力なのである。時代や環境はかけ離れているが、私自身の幼少時代の性格や遊びの好みにも重なるし、これこそが私の求めている文章なのだな~。 なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽匣から見つけた銀の匙って、作者自身の心なんだね。きっと・・・

 

ということで、『縁』とは知らず知らず常に求めていたことが、あるとき身近な人を介して現象として現れることなんだ。 

 

『良き想念』は『良き出逢い』を連れてくるんだね・・・

 

 

 

 

 

 

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コメント: 4
  • #1

    みさこ (木曜日, 25 6月 2015 19:17)

    4月の沖縄帰省から沖縄問題から目を背けられなくなりましたね。今年は戦後70年の節目と辺野古埋め立て新基地の問題が重なって、県民の反戦エネルギーが例年になく高まっています。日本本土では小さな問題でしょうか、それともあまりに重い問題なので口を閉ざすしかないのかな。私が50年前沖縄に移住した当時、まわりに犠牲者を抱えた遺族が多くて何も言えない雰囲気でした。

    そういう中で明るいニュースもあります。宮崎駿氏が三億円を出資し、久米島の森林公園に子供の交流拠点を建設し、町に寄贈するとのニュースが今日の新聞に載りました。ユニバーサルうんぬんが進出するより嬉しいニュースです。

  • #2

    ともさん (土曜日, 27 6月 2015 07:05)

    なにかコメントをと思っているうちに、
    百田氏の発言!
    思考の整理がつきません・・・

  • #3

    むっちゃん (火曜日, 07 7月 2015 17:25)

    一昨日の日曜日、「引き受ける力」が売れました。

    「銀の匙」読んだことがないのです。
    ともさんの文章を読んでいて「読んでみたいなぁ」と思いました。

  • #4

    ともさん (水曜日, 08 7月 2015 05:10)

    売れましたか!まさに「縁が縁を生み」という感じですね。

    誉められると、すぐ調子に乗りますよ(笑)

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