明日に架ける橋

 以前にも触れたが、小学校生活での3校目は、那覇市にある天妃小学校に五年生から通いはじめた。そこで出会った友だちの中に、すぐ近所に住んでいたHくんがいた・・・

 

Hという姓は沖縄じゅうを探しても、当時は彼の家くらいだっただろう。戦前の那覇のメイン通りにH呉服店を営んでいたらしい。それを知ったのは生前の父からで、父の生家は同じ通りで陶器店を営んでいて、その呉服店のHくんの父親を良く知っていた(・・・ちゃんと呼んでいたくらい親しかったらしい)からである。戦争で那覇市は焼け野が原になり、お互いの商店も消滅し戦後に復興は出来なかった。戦前はそれなりに裕福な生活をしていたのだろうが、子の代はお互いつつましい生活となっていた。

 

二代目か三代目になるのか知らないが、戦後にも、たまたま両家の子供が友人として出会うとは、なんとも不思議な縁である。

写真=生まれ故郷宮崎県にある綾町の日本最大級の吊り橋 

 

彼の家は父親を早くに亡くし、母ひとり子ひとりであった。お互いの家を行き来しているうちに、高校生の兄が質屋でギターを買ってきて弾きだしたが、私達が中学生になると、兄は厳しい家計の中ではあったが、そのギターを置いて東京の大学に進学した。ラジオの深夜放送全盛期、私は流れてくる曲をチェックしながら、そのギターで呑気に歌謡曲や英語のバラード系で歌を楽しみ、一方のHくんもギターをやりだし、サイモン&ガーファンクルやレッドツェッペリンなどでギターそのものに凝りだした。時代は高度成長期、中2の時には大阪万博があり、Hくんが京都の親戚を頼り万博に行ったのを、羨ましかったのか今も憶えている。そんな彼との別れは高校進学(高1で沖縄は日本復帰)で、私より少し(笑)賢い彼は当時1番の進学校へ行き、55歳での同窓会で40年振りに再会するまでは音信不通となった。

 

どういう訳かHくんのルーツは、いま私の住む京都にある。呉服の本場である京都の人が江戸時代か明治時代だろうか?なぜ遠路はるばる沖縄で商売を始めたのであろう。私の父の母親のルーツは宮崎にあるようだ、陶器商で沖縄に渡ってきたらしい。そんなことを考えだしたら、人間の営みにはとてもロマンを感じる。600年以上もむかし、琉球国の発展の為に明の国から海を渡り、『久米三十六姓』と言われた職人や技術者、学者が中国の明時代に那覇の久米村で骨を埋めた。高校3年生のとき出会った文学好きのTくんはその末裔である。

 

歴史を紐とけば、大和の国も遣隋使や遣唐使などが大陸の文明文化を学びに渡っている。京都や関西圏でよく耳にするHくんの祖先は、渡来人として大和の国に住んだ流れからの姓のひとつと、歴史の授業で学んだ気がする。文字、服、陶器、仏教、政治、商業、工業、農業、文化芸術、etc・・・は、大陸からの渡来人が命懸けで持ち込み定着させたのだ。

 

ア~ 長くなったな(笑)まとめなければ~

 

現代はグローバルな時代であると言われて、多くの人たちが飛行機で世界の空を股に架けている。ところが、人間は古代から他の人々や国々のために命懸けで、陸上の道(シルクロードなど)や、海上の道を利用して文明文化を交流させ発展させてきのである。そう考えると、これから何百年か何千年か後に歴史を振り返ったとき、交流のお陰でどれだけの素晴らしい世界になっているのだろうか・・・

 

しかし、人間も他の生物同様に異なるものを排除しようとする。それがいじめや争いになり、悲しいかな人間の世界では戦争に繋がる。現代は昔のようにドンドンパチパチでは済まされない。世界大戦になれば、ボタンひとつで世界が終わりになりかねない。

 

Hくんの祖先は京都にあり、もっと遡れば大陸にあるのかもしれない。それが、歴史と共にいま沖縄に根付き故郷となっている。そう考えると、誰でも世界中の人と繋がり親戚だらけと捉えると面白い。


いま世界中にどれだけの移民や難民がいるのだろう?そして、その人々を受け入れてる器の大きな国々が、彼らの未来ある子供たちに惜しみなく教育を授けることで、将来その子たちが世界を素晴らしいものにしてくれることが十分あり得るのだ。だから、人々はこれからの地球や生き物のために、惜しみなく働かなければならないのではないだろうか・・・

 

中学生の頃、たしかHくんと一緒に歌ったサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』の歌詞は、まさにそのような意味だろうと思う。

 

このところ爽やかな晴天の続く実りの秋の10月・・・

 

五十代最後の誕生月のせいか、何日もかけて理屈っぽく長々と書いてしまったな~(笑) 

 

残りの人生、明日に架ける橋のような生き方ができるかな・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    美沙子 (日曜日, 18 10月 2015 12:13)

    地球の人々が助け合い、異文化を尊び、武力での制圧のない自由と平等の世界が実現したらどんなに素晴らしいでしょう。
    紛争地の混乱は大国のエゴと人々の無関心のように思えてなりません。日本は武力での世界貢献ではなく、レベルの高い世界貢献をしてもらいたい。小さな島の沖縄が2大国に抗らって今にも呑み込まれそうですが、今に始まったことではなく、長い歴史の中で培った沖縄魂は世界平和に向いています。

  • #2

    ともさん (日曜日, 18 10月 2015 16:19)

    まさに『万国之津梁』(世界各国との架け橋)ですね。

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