日が沈む

 今日は親友の初七日・・・

 

ほぼ10年に亘る闘病の末、3月1日の日付が変わろうとする深夜この世を去った。それを知ったのは告別式当日の朝、そして帰省(会葬)は叶わなかった・・・ 

 

彼との出会いは高校1年の同じクラス、何が切っ掛けだったか思い出せないが、お互いにギターを弾くことを知り、それからは其々の部活(彼は放送部、私はバレーボール部)の合間を縫ってギター片手に洋曲中心の歌に興じた。

 

偶然にも彼の母親は私が中学生の時の音楽の恩師で、当然なのだろうが、彼の音楽力には遠く及ばなかった。彼はギターに加え、ドラムやピアノもこなし、他の高校に進学した中学時代の同級生とロックバンドを組んでいた。

 

絶対音感の彼だが、何故か私の歌声には惚れ込んでくれたのだった。この45年近くの間、再会の度にいつも褒めてくれた。高校時代は常に私に歌う機会を与えてくれ、教室での練習、彼のロックバンド、音楽室でプロのピアニストになった子との共演、放送室に私を招き昼休みでの校内放送、文化祭でのライブ、キャンプファイヤーetc・・・と人前で歌う楽しさを提供してくれた。

宇治川の向こうの山に沈む夕日、の方角には沖縄が・・・

できることなら、海に沈む夕日を眺めたかったのだが・・・ 

でも、あいつみたいに大きく鮮やかで美しかった~

 

お互い福岡と京都に進学してからも暫くは交流していたが、その後20年ほど疎遠の期間を経て、私が妻の実家のある宇治市に住むようになり再会を果たし、帰省の度に一緒に歌う機会を作ってくれた。ほとんどがカラオケになったが、まだ体調の良かった8年ほど前に、彼のドラムとプロになったピアニストの子と私のギターで、彼が中学校時代組んでいたロックバンドメンバーの一人が営む、ライブハウスで演奏に興じた。その時は「高校の同窓会で三人で演奏をしよう!」と誓っていたのだが、晩年は楽器に触れることさえできなくなり、最近は私の下手なギター演奏で、あの頃の歌を楽しむことが精一杯だった。

 

3年ほど前に、彼との思い出を綴って作った曲がある。彼の前で歌うチャンスはあったのだが、歌うとそれが最後になるようで遂に歌えなかった・・・ ここ数年の体調は下降線を辿る一方だったので、今生の別れがあることを覚悟していたつもりだが、逝って7日間のうちに、何度かその曲を追悼の意味で独り歌ってはみたが、切なさが込み上げてうまく歌えない。両親が逝ってから、沖縄に住む愛する人々の死に目に会えないのは、覚悟しているつもりなのだが・・・

 

あいつは思いやりがあり、楽しく明るく太く短い人生だったな~

不自由になった身体から解き放たれ、今ごろ自由に飛び廻っているだろうな~

 

四十九日に線香をあげに帰省をしようと思う。もし、可能なら彼の遺影に歌を捧げてこよう・・・ 

   

                                                     合掌

 

 

 

 

 

 

 

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コメント: 4
  • #1

    みさこ (金曜日, 11 3月 2016 09:20)

    息子の大学合格と友人の死。悲喜こもごも・・・・ですね。

  • #2

    ともさん (日曜日, 13 3月 2016 08:35)

    そうですね。 年齢を重ねてはじめて感じることですね・・・

  • #3

    律子 (火曜日, 15 3月 2016 12:19)

    以前、ブログに書かれてましたね。帰省した時お見舞いに行かれたとか・・お悔やみ申し上げます。
    楽しい思い出がいっぱいのご友人、沖縄に帰られたらぜひ追悼の歌を・・喜ばれると思いますよ。

  • #4

    ともさん (水曜日, 16 3月 2016 19:59)

    ご家族の理解を得て何とか・・・

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