前回書いたシニアの歌教室の忘年会の最中に、ひとつの出会いがあった。
『海の声』での三線の伴奏を担当したせいだろう、宴も終盤、一人の女性が近寄り話しかけてきた。「沖縄の方ですか?」「はい、生まれは宮崎ですが両親が沖縄なもので、9歳になるときに引っ越して、その後十年ほど住んでいました・・・」「私は京都沖縄県人会の者で、来年は京都で沖縄県人会の全国大会があるので是非参加しませんか?」
だいたいこんな会話だったかな・・・
京都に出てきて40年、県人会には無縁であった。よく言われていることのようだが、沖縄県出身の人は県外の学校で学んでもすぐ地元に帰るとか、たとえ職についても県人だけで固まってしまうとか・・・
宮崎で生まれ幼少を過ごし、沖縄の都市部(浦添、那覇)で育った若い私の目には、そんな光景が傷のなめ合いをしているようにも映った。しかし、実は皆が損得なしで助け合いをしているのだと、年齢を重ねるごとに気付いていった。そのことを沖縄方言で『ゆいまーる』と言う。そしてネットで知ったが、それは日本全国の農村部で昔から行われていた相互扶助制度の『結(ゆい)』と共通しているということだ。(結を順番に回す=ゆいまーる)らしい。
歴史を振り返ると、琉球から沖縄県となり、明治初期より資源や産業の乏しさから、世界各地に多くの方々が移民をしているのである。(先の大戦後はアメリカ軍の基地建設のために、土地を奪われた方々の移民も多かったようだ)南米、北米、ハワイ、アジア各地etc・・・ たぶん、全国どの都道府県の人よりも多いのではないだろうか?その証として、1990年からは数年に一度、世界のウチナーンチュ大会が沖縄で盛大に開催(今年は第6回)され、海外から沢山の沖縄に縁のある方々が参加しているのからも窺える。
それは、琉球王国時代からの伝統なのだろう、資源や産業の乏しさから海を渡り、アジア各地の国と仲良く交易しながら、産業、文化、芸能を取り入れ、独自のチャンプルー(沖縄流にブレンドした)文化で小国を維持させたことが、今日に受け継つがれているような気がする。
ということで、来年は世界に比べると狭すぎるが(笑)日本国内で活躍されている県人の方々との『御縁』が始まり、新たな学びがあるのかも知れない・・・
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