二十歳の原点

 三寒四温、京都も少しずつ春に近付いている。

 

さて、高3時代はとても仲の良いクラスで、その仲間の1人のT君から小説を読む楽しさを教わったことは以前に書いた。他にも女子のKさんから『二十歳の原点』という本を貸してもらい読んだことがある。

 

1週間ほど前に、NHKの『かんさい熱視線』で「悩んで、もがいて、生きて、私たちの“二十歳の原点”」という番組をやっていて、その当時が蘇ってきて釘付けになってしまった。(今年、二十歳になる大学生の息子も同世代の学生たちの言葉に釘付けになっていたようだ。)

 

私が読んだのは42年前であるが、今だに悩み多き若い世代に支持され重版を繰り返し読まれ続けているらしい。内容は著者である立命館大学の学生であった高野悦子さんが

雪の残る先週の京都、出町柳で加茂川と高野川が合流した鴨川の橋の上から比叡山を望んだショット(本に出てくる広小路に有った立命館や同志社そして京大を結ぶ中間地点、私の通った?学校も近くにあり、アルバイト先のコーヒーショップで出会った各校の仲間とよく飲みにも行った。そんな思いで深い界隈)

日記形式に書き続けていたものである。二十歳になった年に京都で自殺をした後に、遺族がまとめられたのが本になり、1971年(その時の私は中3だな)に新潮社から刊行されたということだ。

 

当時の私は仲間と楽しい日々を送り続けていたので、表面的にはこれからの人生を思い悩むことはなかった。ただ、『自殺』という内容にとても衝撃を受けたことを憶えている。そして今になって思うことだが、やはり本に影響を受けたのか、その後の私は沖縄最大の戦場であった南部を十何時間かけて歩いた。さらに、浪人が決まった年には船で東京に出て、予備校に通うことになったクラスメートY君のアパートで2週間を過ごし、鉄道で東海道本線を西へ(富士山は視えたのかな?)そして岐阜から高山本線で高山、白川郷で各一泊、富山を通過して北陸本線で金沢で下車、その後、敦賀から米原経由だったか、京都には興味なかったので降りずに通過し、姫路で城を見物して500円の木賃宿で一泊した。さらに山陽本線で広島に入り原爆ドームに行き、当時の国鉄広島で野球を続けるために就職したクラスメートN君(キャッチャーとして、ドラフトでプロ球団に指名されていたのだが、夢より堅実な生き方を選んだのだろう)の寮に泊めてもらい、再び山陽本線で九州に入り小倉から日豊本線で生まれ故郷の宮崎に寄り、4人(K君、M君、Iさん、Mさん)の幼馴染みとその家族に再会して(泊まったかどうか記憶がない)、再び日豊本線で鹿児島に出て、船で沖縄に戻るという1人旅をした。(情報も今ほどない時代、鉄道のない沖縄からどのようにルートや宿を選んで旅をしたのか、今となっては記憶がない(笑))

 

 登場したみんなが、あの時は二十歳で今は還暦なんだな~(笑)

 

その後、憧れの大学はあったものの、強烈な思いのない私はさらにもう一浪しても受からず、姉の薦める専門学校に進学したのである。そこが、何と!京都!つまり、二十歳になった私の原点の街になったのである。そして、あれから40年の月日が流れ、あの本をテーマにした番組を今年二十歳になる息子と一緒に観るとは・・・

 

あの高3の時に読んだ『二十歳の原点』は京都へのいざないの序章だったのだろうか?  

 

亡き両親には苦労掛け続け、お詫びのしようがないが、人生はホンマに不思議だな・・・

 

 

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コメント: 4
  • #1

    みさこ (水曜日, 22 2月 2017 20:10)

    不思議な縁! 京都という所の居心地の良さが気に入って、生涯現役ならぬ生涯京都?

  • #2

    ともさん (土曜日, 04 3月 2017 11:59)

    足を踏みいてた時から、常に誰かしらと係わりがあって、
    その途切れのない人間関係がここまで導いたのかな?
    人は自分の思いだけでは生きていませんね・・・

  • #3

    律子 (水曜日, 08 3月 2017 14:49)

    お久しぶりです(^^)/
    あの遠い記憶思い出しました。うちに一泊して私は社会人一年生だったので、(バスで)仕事に行き、昼休み駅に見送りに行ったけど見つけられなかった・・と記憶しています。それ以来会ってませんね(^^;
    お姉さんとは何度か会えましたが、幼なじみのともさんには中々会えません。いつか元気なうちに皆に会いたいなぁ・・
    K君、M君はこっちにいないけど、Mさんは地元だけど中々会えません(^^;

    二十歳の原点は私も読み衝撃を受けたこと覚えています・・いくつになっても悔んだり人生後悔だらけ(子供の事で悩んだり・・)

  • #4

    ともさん (木曜日, 09 3月 2017 20:50)

    そうだったんですねぇ~ お世話になりましたm(__)m
    昭和30年代、I家には家族ぐるみで何かとお世話になったようで・・・
    本当に素晴らしいご家族でした!心から感謝です!

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