五才の頃

 今日はさつまいもでスイートポテトを作り,昨日に自ら焙煎したオリジナルブレンドコーヒーを淹れて、3時のおやつにした。

 

行動制限の多い昨今、お家時間という言葉が持てはやされている。体育会系の人や行動的な人にとって,この2年間のコロナ禍は、とてもストレスの掛かる年月であろう。

 

そんな私も学生時代は運動系のクラブ活動に明け暮れ、社会人となっても人との関わりの多い職業や趣味に明け暮れていた。

 

ここ数年、職場の保育園で絵本と歌のライブをしていることを先日のブロブに載せたが、このところは感染予防で中止している。

 

5才児を観察していると面白い。ついこの間まで、ほとんどの子が出来ていなかった独楽回しを、多くの子らが回せるようになっていて驚かされた。多くの子達に刺激を受けるということは、何をするにも上達が早いのであろうか...

 

さて、私の五才の頃はどうだったかな...

もう半世紀でも収まらなくなった程の前のことである(笑)

宮崎の田舎町で4人きょうだいの年の離れた末っ子に生まれたものだから、五才の頃といえば姉達や兄は学校に行っており、日中は近所の同年代の子達と遊ぶか、一人遊びに興じていた。

 

年の離れた末っ子だけあって、あまり競争心が無く、父はクラシックやロシア民謡、思春期前後のきょうだい達は歌謡曲や洋曲など音楽の好きな家族だったので、どちらかというと音楽を聴いたり空想にふけっているほうが好きであった。母はというと、6人家族を養う父のサラリーでは、ゆとりのあろうはずも無なく、あの頃の子ども達がそうであったように、幼稚園も保育園も無かった土地なので、料理好きだったのであろう、食材を工夫して食べさせてくれていた。

 

中島みゆきの古い曲に「五才の頃」というのがある。

 

♪思い出してごらん 五つの頃を

 風を追いかけていた 五つの頃を

 宝物はいつも 掌のなか

 居眠りをしながら 掌のなか...♪

 

 

その年代にインプットされた幸せな時間は,大人になって欲で得たものよりも大切で、結局は自分の人生の進むべき方向になっているものなんだなと、この頃になって感じるのである。

 

物は豊かでは無くとも、楽しく遊び学ぶことができる愛溢れる安心な環境さえあれば、子どもは幸せな人生を歩める...

 

 

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コメント: 2
  • #1

    みさこ (金曜日, 11 3月 2022 11:48)

    「三つ子の魂百まで」という諺のとうりに、幼児期の経験は大事ですね。自然に囲まれ、穏やかな幼児期を過ごせたことに感謝ですね。

  • #2

    ともさん (日曜日, 13 3月 2022 19:41)

    虫の声、蚊帳、天井の模様、食卓… 日々の何気ないシーン、そう特別なことではないことが幸せなんですね。

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