ちむどんどん

 NHKの朝の新しい連続テレビ小説が始まった。

タイトルは「ちむどんどん」= こころがワクワクと高鳴ること

ちょうど私の年齢とほぼ重なるヒロインのドラマなので,その時代背景に興味があり妻に録画を頼み、この1週間は欠かさずに観ている。

 

 写真は昨日の夕暮れ、東の山から顔を出した満月である。

ベランダに出ていた妻から促され覗くと、ちょうど山頂に光が差し、数分のうちに満月が顔を出した。その間はまさに「ちむどんどん」だった...

そして、今日の午後は久しぶりに4種類のコーヒー豆を焙煎(「昔ながらの珈琲と深夜放送」を検索すると様子を掲載中)した。しばらく3日ほど寝かせて飲めるまでが「ちむどんどん」である...

 

 さて、ドラマの舞台はアメリカ統治下の昭和39年頃の沖縄本島北部、通称やんばる(山原)と言われている山の多い地域だ。貧しくても仲良く幸せに暮らす6人家族の姿に、同じころ宮崎の田舎町に6人家族で過ごしていた私の家族の姿が重なった。ドラマの主人公の女の子は食べることが大好きで、自然の中の食材や沖縄料理やアメリカから入ってきた料理に「ちむどんどん」している。丁度その頃の私と言えば、母親の作る慎ましい料理には、何の驚きもなく当たり前のこと(運動会のときの手作り海苔巻き寿司は絶品だったな)のように食べていた。そんな日常の中、たまに沖縄の母方の祖母から送られてくる小包に「ちむどんどん」していた。中身はアメリカ製の数種類のチョコレート、ガム、加工された肉の缶詰、ツナの缶詰、紅茶のティーパックetc...

 

祖父母は戦前には従業員を雇い那覇市で泡盛の作り酒屋を営んでいた。しかし、祖母は沖縄戦が始まる前に母達と九州に疎開し、祖父はギリギリまで地域を守り、ドラマの舞台になっているやんばるに逃げたのだが、飢えで死んでしまったと聞かされている。直接に祖母や親に聴いたわけではないが、過去の親族が集まったとき等の雑談の数々を今になって紡いでみると、戦後に暫くして沖縄に戻った祖母は、全てを失ってやっと取り戻した小さな土地にバラックを建て、まちやーぐゎー(雑貨屋)を営み、せっせと小銭を稼いで、娘の家族に小包を送っていたと思う...

 

宮崎時代に幼い私は二度ほど母に連れられ、沖縄の祖母の家で寝泊まりをした記憶がある。子供の眼から見てもホントに小さな家で商いをしていたが、そこは幼い私にとって夢の世界だった。小さな木枠のショーケースには、上記のアメリカ製の食品や地元の塩せんべい、調味料、コルゲートのチューブの歯磨き,歯ブラシ、香水臭のするアメリカ製の石鹸、アメリカ製の煙草、沖縄製の煙草etcが並び、氷の冷蔵庫だったか?鉄製の樽のようなものだったか?その中にはコーラやジュースが入っていて眺めているだけでも心が躍(ちむどんどん)った...

 

まもなく、私の家族は両親の故郷である沖縄に移り住むことになる。ドラマの主人公は、たくさんの料理が食べられる東京に憧れているようだが、沖縄(浦添や那覇)に引っ越した幼い私は、アメリカナイズされた街に染まっていくことになる...

 

5月15日は沖縄の日本復帰50周年である。そして、一方ではロシアのウクライナへの軍事侵攻で戦争の日々...

 

続きはまたの機会に...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    みさこ (日曜日, 08 5月 2022 10:56)

    祖母のマチヤグァーの品物をこんなに覚えているなんて凄い。私はタバコ位しか覚えていません。子供の目と大人の目の違いかな?

  • #2

    ともさん (土曜日, 21 5月 2022 13:08)

    いつも優しい目で接してくれていたばあちゃんでした。
    激動の人生を凛々しく生き抜き、生涯現役でマチヤグァーを営むとは素晴らしいです。

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