新春に思うこと

 また新しい年が訪れた...

 

  心の中を掃除しないと、世の中に現れている暗い面に押し流されてしまいそうな日々だ...

 

 

昨年11月のことだが、我が子が1年ほど前から神奈川に住むようになたので行ってきた。小田原まで新幹線のこだま号でのんびり移動し、そこから東海道線で憧れの茅ヶ崎の駅に降り立った。なぜ茅ヶ崎なのか?それは「加山雄三通り」を湘南海岸まで歩いて烏帽子岩のある海を眺めたかったからなのだ。

 

 京都で生活を始めてから数年前まで何度かコンサートにも行き、アルバムも何枚か揃えた加山雄三さんが年末の紅白歌合戦を最後に表舞台から去った。物心がついた時から、その生きざまに人生を支えてもらったのかも知れない。私が幼いころの宮崎時代から青春期まで過ごした沖縄時代の加山さんは、七歳上の兄を通しての憧れの存在だった。兄が高校生の時に質屋で買ったギターで、その楽しさを知った中学、高校生時代は、勉強も部活にも芽が出ない身を支えたのだと思えている。そんな思いが潜在意識に入り込んだ若者が、海洋学部のある大学を受験したのは自然な流れであったのであろう...

 

 しかし、世の中はそう甘くはない。勉強に身が入らず明確な目標のない者にとっては、漠然とした夢だけではたやすく門戸を開いてはくれない。

 

そこで一浪して取った行動が昨年の九月に「海上の道1」で取り上げたことなのである。(今日、そのブログをうっかり削除してしまった...

 情けないが(笑)思い出しながら、また掲載しようと思っている)

 

翌年は湘南に住む伯父の家に世話になり受験に挑んだのだが、心構えにそれほどの変化のなかった身では又もや敗戦となり、何の縁か海のない京都(丹後に海はあるが)に落ち着くことになった。なので今回の茅ヶ崎は初めてであったが、湘南地区は45年前に訪れている。そのときは受験で心に余裕もなく、江の島を見物しただけと記憶している。

 

大正元年生まれで長男の伯父が、なぜ湘南に住むようになったのか...    もう、その場所に住んでいる親戚はいないので、推測するしかないが、そのことは次の機会にしよう...

 

         

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  先日、うっかり削除してしまった昨年九月の文章を再現しようと思うが、記憶というものは曖昧で、しかもそのときの環境や感情で手が勝手に動いているので、同じような文章はできないだろうな... 著名なアーチストたちは、作品というものはその瞬間に大いなるものから天下り出来上がるというが、この程度の文章では大げさだな...(笑)                                   

                    令和5年1月7日 

 

           

            [海上の道 その1]

 

 昨年九月の半ばに、コロナ禍で一年遅らせた父のささやかな十三回忌を行うために沖縄に帰省した。ここ数年は神戸から同じ航空会社の同じ時刻の便を利用している。その訳はというと、飛び立って30分もすると宮崎の日南海岸が現れ、生まれ故郷の田舎町あたりが一望できるからだ。この日はあいにく雲が多い日で、生まれた町あたりを目にすることはできなかったが、上空ということもあってか、自分自身がこの世に生を受けた意味を点検する機会になっている気がしている...

 

 沖縄から戻り、暫くして1冊の本を読み終えた。それは、決して著名な作家ではない清水哲夫氏の「吐噶喇(トカラ)へ」である。清水氏との出会いは10年ほど前、30年以上懇意にしている絵本、児童書専門店の店主が開催した講演会を通してである。私より2歳上で京都生まれ育ちの氏は現在は鹿児島に居を構えている。他に私が読んだ作品は「種子島へ」、そして宮崎、沖縄と私が生まれ育った土地とは異なるが、生き生きとした子供の目線で書かれた文章は当時の私が蘇る作品「少年ジェットたちの路地」「熱風共和国」「月がとっても青いから」がある。           

 

 清水氏には子供の頃から放浪癖があり、大学生になると国内、国外を歩き回ったらしい。作家となってからも歩き回り、先述のような作品が出来上がったのだろう。氏の行動には遠く及ばないが、私にも悩める青春時代に歩き回った経験がある...

 

 

   ・二十歳の原点 2017年2月19日のブログ

 

      

   ・命の繋がり 2014年1月7日のブログ 

 

 

 新年早々うっかりブログを削除したお陰で、過去のブログで同じような内容を取り上げていたことを思い出すことができた。失敗を失敗で終わらせなければ、いいことがあるもんだ。過去の文章を読んでみると、よくこんなことを書いてるなと感心したり、否定したくなったりで不思議に思う。そう、人はやはり今に生きている!

 柳田国男の「海上の道」を読んだのは、京都に進学してからの情報社会史という授業のレポート作成で、講師(今となっては恩師)に読まされたからである。このこともブログのどこかに掲載したが、探すのに疲れたので今日はこの辺で終わろう(笑)

 

 こうして振り返ってみると、私も読書でけっこう人生を生き抜く術を身に付けているのだな...

 

 

 追記

 9年まえの「命の繋がり」を読み返してみると、記載した友人も叔父も次姉もこの世を去っていった...

憧れた加山雄三さんも85歳になり、華やかな表舞台から去り、これから色々なものをそぎ落としていくのだろうな...

そして、私もいつの間にか高齢者という世間の基準の年齢ラインに達してしまった。ということは、そろそろ無駄なものはそぎ落としていく準備をしながら、大切なものを次の世代にバトンタッチする行動を起こさなければ!と思う年の初めというところかな...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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