海上の道 その2

 今月の初旬のこと、五~六年ぶりに地元の図書館で本を借りてきた。それらの本の中に『開高健の本棚』(河出書房新社)が目に留まった。前回のブログに引き継くことになるが、茅ケ崎を歩くに当たって海の他に目ぼしい所はないかとネットで調べていたら、『開高健記念館』がでてきた。結局はそこを訪れることはなかったのだが、その名前に惹かれるものがあった。というのも、氏の著書を読んだことはなかったのだが、幼いころから観ていたサントリーのユニークなテレビCMに氏が係わっていたことや、私の若い頃だったと思うが、某雑誌に『オーパ!』というエッセイ?をシリーズで載せていたと記憶しているからだ。

 

 惹かれるのはそれだけではない、湘南に住んでいた伯父が開高氏と同じサントリーの社員であったことも興味を持った要因なのかも知れない... 

本にある年譜によると、昭和5年大阪生まれの開高氏は、大阪創業でサントリーの前身の壽屋に昭和29年に入社して宣伝部員になっている。そして、私の生まれた昭和31年10月に東京支社に転勤して、28歳の昭和33年の2月に『裸の王様』という作品で芥川賞を受賞している。末っ子の私が生まれたとき父は42歳だから、大正元年生まれの伯父は45歳、大阪生まれの開高氏のサントリー社員はわかるが、戦前に東京で学生生活を送ったとはいえ、沖縄出身でしかも長男の伯父がなぜサントリーの社員になったのだろうか、もう父の世代の身内は全てあの世に行ってしまったので、知るすべもなく推測しかない...

 

 面白おかしく語ることの好きな生前の父の昔話に出てくる伯父は、大正時代の那覇で知らない人がいないくらいの文武両道の うーまくわらばー(やんちゃ少年)だったらしい。そんな伯父だから、遠い海の向こうの異国のような沖縄の青年とはいえ、東京でもかなり幅を効かせた生き方をしていたに違いない。父の話によると、世が世ならお姫様という伯母を見染て東京で嫁にしたのだから、その豪傑さが伺える。結婚後は那覇で生活をしていたようだが、世間によくある嫁姑の確執があったと聞いた覚えがあるので、あの伯父のことだから東京に戻ったのではないのかな...?その後の戦前、戦中、戦後の生活はどうだったのであろうか、もしかすると戦後に寿屋(現サントリー)に職を得たのではないのかな...?

 

 伯父の父親(祖父)も那覇の大綱引きの旗頭を務めるほどの文武両道の豪傑だったようだ。父(次男)の嫁にと母と結婚させたのは、泡盛の作り酒屋の娘だったので、酒がたくさん飲めるからと聞いた覚えがある(苦笑)そんな血を引く伯父のことだ、サントリーを選んだのも分かる気がする(笑)

 

 宮崎の田舎町で生まれ育っている私に、伯父に初めて会えるチャンスが訪れたのだが...

あれは、小学校に上がる前と記憶している。「東京タワーを見に行こう!」(昭和33年12月23日竣工)と父が私に言い出した。しかし、母親べったりの末っ子は「いかない!」と拒否をしたのだった。結局、父は一人で東京に行ったのだが、いまだに記憶があるということはきっと内心では行きたかったのだろうな...(笑)  

 

 その後、初めて伯父に会ったのは大学受験で湘南の家に泊めてもらった一晩(この時にビール事業参入間もないサントリービールを飲ませてもらった)と、私の結婚式で京都に夫婦で来てくれたときの2度切りだ。そんな伯父から結婚式後に掛けてもらった言葉が忘れられない。それは、「思いのままに生きろ!」

伯父ほどの丹力は持ち合わせていないが、きっと、同じように故郷を遠く離れて暮らす甥に自分を重ねて、エールを送ったのではないだろうか...

 

 そんな伯父が湘南に住むようになったのは海を眺めながら遠い故郷に思いを馳せたかったからではないだろうか...

そして、そんな伯父と開高健氏が職場や湘南で洋酒を飲み交わしていたのかも知れないと、勝手に理想を想像してみる...

 

 

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コメント: 2
  • #1

    みさこ (水曜日, 01 3月 2023 11:56)

    那覇市の安謝に沖縄サントリー(株)があるので、もしかしたら戦前からあるのかなと思ってネットで調べたら1961年創業で、伯父さんとは関係ないようでした。

    父や成叔父さんから、断片的に聞いた話をまとめると、
    伯母さんのお腹にむつこ姉さんを宿している頃、本土に疎開するために、成叔父さんが付き添った話を聞きました。おそらく東京の実家の方でしょう。伯父さんは十十空襲を体験しているので、戦禍をくぐり抜け、後から向かったのでしょう。戦争で全財産を失った家族は戦前裕福だっただけに、自活するために苦労したでしょうね。伯父さんは大学受験に親に反抗して、受験用紙を白紙で出した話は父からよく聞かされました。大学卒業資格がないので、職場で苦労したのでは?伯母さんは、自殺未遂するくらい、姑にいじめられて、二度と沖縄に足を踏み入れることはなかったし。友さんの結婚式の京都ではお二人幸せそうでした。人生山あり谷ありですね。

  • #2

    ともさん (土曜日, 04 3月 2023 09:00)

    有難うございます!
    若いときは我が身のことで精一杯...
    今は亡き、お世話になった方々のお話を、もっと聴いておけばよかったと思います。
    次の世代のためにも...




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