旅とは

 ゴールデンウイークもあっという間に過ぎ去り6月に入った。

 

その始まりの4月29日は、久々に地元の運動公園でのライブに参加してきた。私が人生後半に掛けて掲げている夢は『ギターとコーヒーの旅』である。自作の歌と自作の珈琲を持って、招かれた土地に行きライブをするのだ。歌を聴いてくれたお礼にコーヒーを淹れて味わって貰い、そのお返しに郷土料理を頂けたら嬉しいな(笑)言わば『旅する歌うコーヒーマン』というところかな...

 

そして、5月の3日から4日にかけては妻の誘いで金沢で行われた『風と緑の楽都音楽祭』に行ってきた。このことはGW中に直ぐ取り上げるつもりでいたのだが、自宅に戻った翌日に石川県で大きな地震が起きたのだ...

「運がよかった!」確かにそう思った。でも、被災した方々やその時に旅行中の方々は運が悪るかったのであろうか...

 

ひと月が経ち、いま思うことは「素晴らしい音楽祭だった!素晴らしい旅だった!」ということを伝えることだなと思えている...

 

夫婦と言えども同じ趣味と同じ行動を好む訳ではない。現代では他国に遅れ日本でもそれが当たり前と顕著に現れている(笑)しかし、今回は私が選んだメインのコンサートも妻と同じ「林英哲の和太鼓 広上淳一&OEKと白熱の競演」であった。それは和洋の楽器が繰り出す古典に拘らないオリジナルな曲で、その白熱のライブに心を震わせてもらった。その他、東欧や国内から招いた演奏家によるクラシック音楽を中心した数多くの低額や無料のコンサートが色々な会場で催されていて、そのいくつかを堪能させてもらった。

 

 

 

 翌朝、妻はまたも林英哲とその弟子たちによる和太鼓のコンサートに行くことになっていたのだが、私は別行動を取ることにした。以前にも触れたことがあるが、金沢は48年前の高校卒業後の一人旅で立ち寄ったことがあり、観光スポットである兼六園はその時に行った覚えがあり足が向かなかった。ならば、何処へ行こうかとネットで検索をしていると、『金沢蓄音器館』が目に留まった。ホテルからもそう遠くないし、今回は音楽三昧と割り切って向かうことにした。20分も歩くと到着したが開館前であったので、もう少し足を伸ばしてみると見覚えのある川に出た。前日の金沢駅到着前にサンダーバードの車窓から見えた鴨川そっくりと(こじんまりとしているが)感じた川にだった。橋の上から上流を眺めると、一つ先の木造でできた橋に鯉のぼりがたくさん吊るされていた。そして、その少し前の川面に何かがたくさん泳いでいるので、興味津々で上流に歩いていくと、何とそれも鯉のぼりだった。全国には色々な端午の節句があるものだ、これだから旅は楽しい!

 

 

 

  その後、蓄音器館に戻り受付に向かった。ゴールデンウイーク中、65歳以上は無料ということらしい。それに該当する年齢になったとは、嬉しいような悲しいような(笑)

 

 パンフレットには『この金沢蓄音器館は、市内で長年レコード店を営んできた故八日市屋浩志氏が収集してきた蓄音器540台、SPレコード約2万枚の「山蓄コレクション」を基に、平成13年7月に開館しました。』とある。

3階から順路通りに展示品を見ていると、気の良さそうな70代と思しき男性が観覧中の女性に何かを頻りに勧めている。私にも気付き話しかけてきた「11時から10台の蓄音機の聴き比べがあります。展示品を見て回るだけでなく、実際に聴き比べるとその良さや豊かさが分かります...」館長であった。実演時間は30分間、妻との待ち合わせ時間にはギリギリになる...

「聴きたい!」残ることにした。

 

 実演時間までは展示品を見て回ったり、一階のサロンで過ごし、時間が迫ったので2階の会場に行くと既に満席。「しまった!」

ところが、会場は思わぬ大入りなのか、座席の前に補助いすが並べられていた。しかたなく順番に座っていくと、ちょうど中央の全てが聴き渡せ見渡される特等席に陣取れた。「嬉しい!」

 

解説者が現れ説明と共に一台一台の実演が始まった、無知なことに知らなかったが、1887年にエジソンが発明し、音を広げるラッパの部分は木と紙と金属があり夫々に音質が異なっていた。(そう、そう、あのビクターのロゴになってる蓄音機の前に座っている犬の説明もあった)その中に音の良い1台が、あのソニーの創業者の一人である盛田昭夫氏の遺品が寄贈されたものがあった。デジタル音響の最先端の創業者が蓄音器の音の豊かさに魅せられていたとは、きっとデジタルの世界にあの蓄音器の音の豊かさを取り入れたかったのではないか... 

 

 そしてもう一つ、私が沖縄にいた思春期の頃の父が語った思い出ばなしが蘇った。1940年代の初めだと思う、まだ沖縄戦など想像さえできなかった頃に両親が結婚し、最愛の娘が誕生した。音楽好きの父は蓄音器(おそらくまだ蓄音器だっただろう)とクラシックレコードを買い、やっと歩き始めた娘と盛んに鑑賞した。すると、娘は何枚ものレコードをちゃんと聴き分けて、其々のジャケットを間違えることもなく父に手渡したという。 そんな戦前の幸せな光景を想像してみる、そして第二次世界大戦の末期の沖縄戦で、その蓄音器やレコードを含めた全てが焼き尽くされ、疎開先の九州で最愛の長女を亡くした両親の悲しみを想像してみた...

 

 人は音楽で人生を楽しみ生きる勇気を与えてくれる楽器、蓄音器、レコードetcを発明し、その一方でそれらを破壊し命を奪う兵器も発明した。ならば、どうすれば豊かで素晴らしい人生を送れるのかを過去の経験から想像してみるといい、そうすれば、きっと豊かさを後世に残していきたいと思えるのではないか...  想像が創造を生む!

 

 

 

 旅は凝り固まった心を開放して視界を広げてくれる。そして、48年前もそうであったように行き当たりばったりのほうが面白い。

 

 但し、それは一人旅のときに限るのだが...(笑)

 

 

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コメント: 2
  • #1

    みさこ (火曜日, 13 6月 2023 17:07)

    充実したゴールデンウィークでしたね。夫婦での旅行は縛られることもあるけれど、羨ましくもありますよ。

    父は生来の音楽好きだったのでしょうね。十日町の角に住んでいるとき、薄い壁を隔てた隣の住人は高校の音楽の先生でした。父の吹く口笛が壁越し聞こえ、とても上手と褒めていたそうです。クラシックの一節だった記憶があります。戦争で蓄音器もレコードも失った父でしたが、クラシックの一節は記憶の中にあったのでしょうね。��

  • #2

    ともさん (水曜日, 14 6月 2023 05:41)

    全てを奪われても人の心までは奪われない生き方の見本ですね。

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